研究?
専門外の研究だとやいのやいの言いやすい現象
ボスがよく言うこと。「サイエンスは学校の勉強と違う。正解に辿り着くために誰に聞いたっていい。ひとりでやろうとして時間がかかるのは全く偉くない。方法論が分かっていることは人に聞いて最短の時間で終わらせて、その先の新しいことを考えるために時間を使ったらいい」んだって。
実験、実験準備先じゃないとパラレルにいかないけど、理論の方が先であるべきだから難しい
自衛のためにも研究ノート
アカデミアに身を置く大人に理解して頂きたいのは、今の教育・社会制度のままだと、学問や研究に熱心になれない学生が研究室に存在してしまうのは仕方ないことだし、無理矢理縛りつけて働かせたところで誰の得にもならないってことですね。もちろんいい面もあるんですよ、少しだけではなく、たくさんね。そもそも無償で研究させるのを「働かせる」と呼ぶかどうかは知りませんが...日本のアカデミアでは人の価値が低いのは確かかも?そういう学生を庇う訳ではありませんが。こういう制度である以上、学生をモチベートする材料は給与以外の精神的なものに頼らざるをえない、ということですかね。「やる気のない人は来ないでください」と言っても来てしまう。それは別に誰が悪いわけでもなくて、そうさせる教育、社会の構造が出来上がってるから
原因1:研究会が厳しい(ex. (研究会でのコメント)「その研究やっても何の意味もないじゃん」 「そうやって意義も考えずに研究するからゴミみたいな研究が溢れるんじゃないですか」)
原因2:学生研究完全放置制(未だにテーマが決まっていないM2多数)
- どれだけエビデンスベースで会話ができるか、が重要
- 研究者としての評価は、入試で点をとるようなものではなく、陸上競技で機械的に計時されるものでもなく、最終的には、他の研究者がアナログでどう思うかだ。
- 「考えたことは他の誰かが既にやってる」ってのは、最初は「10年前に発表されてる」で、そのうち「数年前にやられてた」になって、それから「国際学会に行ったらそういう発表があった」になって、それからようやく追い越せるようになる。もちろん、いっぱい論文読んで勉強してればの話。
- スタディスキルズ
- 冷静に考えて、研究のネタ探せて、成果だせて、それを分かりやすく可視化できて、英語で論文かけて、プレゼンできて、ひいてはコミュ力あって、議論に十分な知識量持ってて、共同研究まわしたり会議運営して、学生の面倒みないと一人前になれないアカデミアとかいう組織、人外育成機関でしょ
- 大きな目的と小さな目的は明確に区別
- 学術研究というものが目指すものを少し考えてみると,「これってどうやって評価するの?」というものだと思う.分からないからこそ研究になる.はじめから評価方法が分かるものは,飛び抜けた性能を出すか,実用性を目指すかしかない
- 研究の深堀とは,中村先生の論文の,僕が面倒で読まなかった部分なのかもしれない
- 研究は穴があってよい.穴だらけだとだめ,という山田さんの言葉だが,どこまでならいいのか?
- 言えたことまで言って、言えてないことは明確に言わないというのが重要な科学的視点
- 概要と結論は定量的に。ちょっと式を出してもいいくらい。
- 最近はぼこぼこにする先生がいなくなったので,学生さんはどこかで自分の甘さに気がついた方がよいゆとりと、パワハラ・アカハラ・セクハラへの糾弾が相まって、甘さに気づけ無い環境になっている。
- 優秀な実用研究は、未来5年後には間違いなくこういうデバイスが、こういう世界が来るはずだというビジョンを持っている。
プロポーザルはwhat why how impact
申請書の類って「すでに結果が出ていることを,まだ結果が出ていないフリして書く」のが定石なんだけど,これ,凄く不誠実なことをしている感がある
作りたいモノや研究したい技術と、商売になりそうなモノや技術は違うので、今後の方向に悩むのです。