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*概要 [#me771ac8]
-好奇心があれば勝手に勉強をするので、なぜこの学問・単元を学ばなければならないのかを細かくインプットしてやる必要がある。
-専門性が上がってくると、「もし〜だとしたら、…ということが言えるはずだが、…が真なら僕が知っているはずなので、〜は偽である可能性が高い」みたいなトリッキーな背理法が効くようになる
-成長するって言葉はキラキラした響きがするけど、実際は壁にぶつかってそれを超えていくプロセスで、心のエネルギーを燃やしながら泥臭く進んでいくイメージ

**雑多 [#pdc94703]

「親がちゃんと育てたらちゃんとした子になる,子どもがちゃんとしてないのは親の育て方が悪い」という迷信の打破からまず始めないと。

-だから、「人に教えるのが好きだから教師になりたいんです」と言う学生さんには、一度、(それは人を支配す るのが好きだからではないか?)と確認してみることをお勧めします。

せクーパー教授:Synthesis of research on homework p. 90 宿題は目標に対してポジティブな効果を与えるが、学年の段階によって大きく影響は変わる。高校生にとっては、かなりポジティブな効果があるだろう。中学生も同様に影響があるだろうが、半分程度の効果である。小学生については、成績に関する宿題の効果は微々たるものだろう。適切な宿題の量が大事。小学生に関しては一日2時間の宿題は成績を下げる宿題は全ての学年に必要であるが、義務的なものと自発的なものを組み合わせたものが最もよい。
義務的な宿題の期間と頻度は以下のようにすべきだろう。
1.1学年~3学年ー週に1回~3回で、それぞれ15分以下
2.4学年~6学年ー週に2回~4回で、それぞれ15分から45分
3.7学年~9学年ー週に3回~5回で、それぞれ45分から75分
4.10学年~12学年ー週に4回~5回で、それぞれ75分から120分
アメリカでは学年x10の宿題を貸す「10分ルール」を全米PTAと全国教育協会は宿題の許容量として10分ルールを認めています。
こういうのは目的がすごい頭いい子を育てるのか平均を上げるのかで結構違う気がする
フランス:宿題は子供にとって苦痛なだけで効果が薄く、しかも移民の子は親に勉強を見てもらえない。フランスの公立小学校では、記述を伴う宿題が法で禁じられているが、教師が法を破って宿題を出しているらしい。学校は公的領域、家庭は私的な領域であり、それぞれの場での教育は別のもの。その結果、学校の宿題が家庭の時間に侵入するのは、公による私の自由の侵害ということになる。また、知育は教師という専門家が行ってはじめて質を保証できるもので、家庭は家庭でしかできない徳育に集中するべき。
その意味では、日本の教育は徳育を学校に外注することによって負担が増えているし、余計な問題(7の段は教えてはいけません)みたいなことが起きるのでは。
なお世論調査では回答者の68%が大統領の提案に反対
時間割の半分がフランス語教育に注がれている。ディベートとかプレゼンをここで勉強をするらしい。
ロシア:ロシアでは「一年生に宿題をやらせるのは法律で禁止されている」らしいです。この法律のことを私たちに紹介した上でうちの担任が下記の言葉を付け加えました。「宿題はちょっとはやっといた方が子供のためなので、私は宿題を出します。ただし、皆さんはこの宿題を「義務」ではなくあくまでも「推奨」として考えてください。学校は宿題を一切強制してませんからね。」
アメリカ:アメリカは日本より、年齢よりもその子にあった「学力」が重視されるようです。そういった意味では学年終了時の通知簿には「来年お勧めの学年」が明記されています。次の学年に上がる学力がついていないと判断された時は留年も勧められます。アメリカの学校で、学生は教室を掃除しません。そのために、学校は他の職員を雇います。アメリカでは、親のボランティアなしでは授業が成り立たないと言っても過言ではありません。生徒のファイルにプリントを入れたり、宿題の添削をボランティアの親がやることも少なくありません。アメリカでは、小学校の遠足に親がついていきます。小学校の宿題が高度です。理科や社会のプロジェクトなど、引用文献まで、きちんと提示しなくてはなりません。宿題が多い。宿題として貸すのが10min ruleとあるが、一日2時間の宿題って結構多いよね。教科書はレンタル、持って帰らない。の子は小学校からメーキャップと装身具。先生のリクエストができる。夏休みの宿題なし。トイレはいつでも言って良くて、【Restroom Pass】というのがある。文化系クラブがない。理系文系が無い。自分で授業を選べる、日本の大学みたいな感じの高校システム。



*国語 [#v3a7ac16]

-国語の採点の本質は、「その文章から読み取れることと社会常識から自然に演繹される言及と、それ以外の言及の境界線を引けるか」にあると思っている。択一問題の選択肢はこの境界線内外を問うているし、記述問題は境界線内で最大の情報量を与えることが求められているという理解をしている。
-この採点基準では、実際に作者が言おうとしていることと模範解答は一致しなくて、作者が「模範解答が私が言おうとしていたことと異なる!」と言ったところで、それは初読者にとって未知の文脈を勝手に想定することは悪であると見なされるべきなので、そりゃ異なることはあるよねというスタンスになる。
-一方で、作者の元の言説とは異なる「模範解答」を受験を通して流布されてしまう状況は、作者としては本意ではないことは間違いないので、可能な限り書作全体での言説と「模範解答」を一致させる努力を作問者はすべきだし、一致していない問題を撤回しろと言われたらそれは真摯に対応すべきだと思う。


*数学 [#xe49bdc2]
プログラミングに数学が必要か否か論争は「やりたいことや作りたいものによる」としか言えないけど、「必要になった時に学べばよい」と言えるほど数学はライトじゃないことが問題な気がする

*物理 [#fcd3a568]
微分方程式なしに物理をやるのは間違っているので、どうしようもない

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